2020.04.23 Thursday

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    2006.07.01 Saturday

    七月に突入

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      これから晩秋までは仕事がびっしり!
      というほどではないが、少しずつズレながら、ということはある程度重なりながら進んでいく。
      ありがたいことである。

      大きな流れを頭のなかで思い描くと時間的にゆとりがありそうだが、実際は、ちょっと気を緩めたり、トラブルがあったりすれば、あっという間に無くなってしまうのだろう。

      今日から七月。
      気を引き締めて、とりあえず深夜のサッカーを観るとするか。
      (お〜い)
      2006.07.02 Sunday

      戦いのあとに

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        それほどサッカーに思い入れがあるわけではないが、レベルの高い国同士の試合はやはり素晴らしい。
        技術とかフォーメーションのことがある程度分かっていればもっと楽しむこともできるのだろうが、そうじゃなくても“うねり”を感じることはできる。
        そしてその“うねり”の頂点は最後にやってくる。

        イングランドとポルトガルの勝負の行方はPK戦にもつれ込んだ。
        それまでの試合の“うねり”は一時的に影をひそめ、静けさがピッチに満ちる。
        PK戦でも一進一退。
        最後にポルトガルがボールを蹴った一瞬あとに明暗を明確にして最後の“うねり”はやってきた。

        ポルトガルの選手のはじけるような動きにくらべ、イングランドの選手のほうは溜めていた力がスローモーションのように抜けていく。

        悔いがあるとかないとか、勝ったとか負けたとか、そんなレベルの話ではなく、ただ“うねり”だけがそこにあった。
        2006.07.03 Monday

        都内、あちこち

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          今日は一日、外出。
          暑さでヘトヘトなので足どりだけを書くことにする。

          銀座に知り合いの版画の個展を見に行く。
          その足で浅草へ革を買いに行く。
          今日行く革屋さんははじめて行くところで、浅草寺の裏をしばらく行ったところにある。
          雷門思えば何度も浅草へは来ているのだが、雷門を見るのははじめてである。観光客のふりをして写真を撮る。

          浅草寺裏手仲見世通りを抜け、浅草寺の境内から出ると町の様子は途端にさびしくなる。

          てくてく……てくてく歩く。


          一雨降り出すまえに革屋さんに到着。

          革の棚

          いろいろ出してもらう。画面の手前にあるのはカロンの革。

          クロコダイルクロコダイル

          こんな革もある。手仕上げで染められたクロコダイル(これは買わなかったが)。
          結局カロンの革とリングトカゲの革をためしに何枚か購入する。
          店を出るとちょうど雨があがったところだった。

          御茶ノ水に行く。
          紙の見本を受け取る。
          この時点で4時半。お昼を食べていなかったのでふらふらする。
          茗荷谷にある箔屋さんに5時までに入ろうとおもっているのでどうしようか迷うが、落ち着くためにも何かを口にした方がよいだろうと判断し、ドトールでジャーマンドッグを食べる。
          箔屋さんにはすべり込みで入る。

          暑い一日。
          よく歩いた一日。
          ヘトヘトである。
          おやすみなさい。
          2006.07.04 Tuesday

          血の気が引く

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            凸版ができてきたので試し押しをしてみる。
            今回はベタ面の箔押し(顔料箔)があるのでどんなものだろうか、というわけだ。

            血の気が引きました。

            紙との相性が実によくない。安っぽくなる。
            版下段階ではこんなふうになるとはまったく予想できなかった……
            さてどうするか。
            どうするか。
            思案のしどころである。

            真っ向勝負かな、やはり。
            2006.07.05 Wednesday

            ラヂオ

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              普段ラヂオを聴きながら仕事をしているのであるが、最近受信状態が悪い。
              アンテナの位置をあちこち向けてみるのだが、あまり効果がない。
              不思議なことに今日のような雨の日はきれいに入る。

              どこかに建った建物が影響を及ぼしているというのがいちばん考えられるのだが、果たして近所に建築中の物件あり。
              それが原因かどうかは分からないが、悪くなる以前も部屋のなかの場所によっては極端に受信状態が悪くなるという微妙さがあったので、疑いの目を向けたくなる。

              しかしそれにしても、DJの声がくぐもったように流れてくると、さわやかな番組が急にあやしげで胡散臭く感じられてくるからおもしろい。
              おもしろがっている場合ではなく、けっこうストレスになっているのでなんとかせねば(なんとかなるのなら)。
              2006.07.06 Thursday

              ボヤキ、です

              0
                最近は寝る時間が遅い。起きる時間は変わらないので寝不足である。
                暑さも加わり、ベストコンディションからはほど遠い。

                こんなボヤキからはじめるつもりはまったくなかったが(ちょっとは本のことを書こうとおもったが)、夕食をとってから横になったら眠ってしまった。
                これは疲れてくるとたまにやる失態。
                しかし2時間も寝てしまうとは。
                起きて20分が経過してやっと頭も働き出してきた。
                これでまた寝る時間が遅くなる!?

                リズムが悪いと掛けた時間の割りに捗りがよくないのはどの仕事もおなじ。
                ここらで生活のリズムを取り戻さないと、夏になるまえに本当に夏バテしてしまう。
                2006.07.07 Friday

                実戦

                0
                  相変わらずの睡眠不足。
                  でも気合は入っている(と書かないと、またA子さんにカツを入れられてしまう(笑))。
                  『ジャクリーヌ』をもう少し先までやったら、『空白期』の編集に入る。

                  話は変わって、いま話題の(?)オシム語録。
                  「練習から得られるものは何もない。何かを得られるとしたら試合からだ」ということを言ったらしい。人づてなのでオシムその人の言葉なのかどうか確認していないが、それはどうでもいい。
                  が、まさしくそうだとおもう。

                  基礎訓練は必要にしても、ある程度のレベルまできたら100の練習よりは1の実戦の方がはるかに多くのものを吸収できるのはどの分野にも共通している。

                  習得に何年もかかるといわれている手押しの箔押しを、数ヶ月でまがりなりにも他人の本に押せるようになったのはこの方法をとったからだとおもっている。
                  預かった他人の本にはじめて箔押しをしたときの緊張はいまもはっきり憶えている。
                  手がぶるぶる震えた。
                  一字箔を入れるのにホルダーを持ったまま、押す態勢のまま一時間二時間がすぐに過ぎた。

                  練習嫌いという性格が幸いしたか災いしたかは定かではないが、もし練習好きであったなら、まだ水仁舎をはじめてはいなかっただろうとおもう。
                  2006.07.08 Saturday

                  儚さ

                  0
                    江戸時代、ガラスは「ギヤマン」とか「びいどろ」と呼ばれていた。
                    ガラスの透明感に対して当時の人は、いまの我々には想像もできないような「あこがれ」を持っていたという。
                    その当時のガラスは現在のガラスにくらべ割れやすかったので、その「儚さ」がガラスに対する想いをよりいっそう掻き立てたらしい。
                    扱いは当然ていねいになる。

                    「儚さ」と「堅牢さ」
                    本をつくっていると気持ち的にいつもこの二つの間を行ったり来たりしている。
                    「儚さ」と「堅牢さ」を併せ持った「しなやかさ」というのが理想なのであるが、これはなかなかむずかしい。

                    どちらかしか選べないとしたら僕は迷うことなく「儚さ」を選ぶだろう。
                    「物に対する扱いのていねいさ」というのは人のなかの感覚を繊細にし、鋭敏にすると思うからだ。
                    それは当然、他人へのこころの持って行き方にもつながっている。

                    だから、生身の人間を超える力でねじ伏せるようなやり方、つくり方を僕はしていこうとは思わない。
                    あいだを埋めずに書くが、それは「堅牢さ」とも違う、あえて言えば「力わざ」である。

                    本扉、箔押し本日の仕事のひとつ――
                    本扉への箔押し。

                    2006.07.09 Sunday

                    あーと

                    0
                      お昼を食べながら「なんでも鑑定団」の再放送を見ていたら、気になるナレーションが耳に入ってきた。
                      といっても初めて聞く言い方ではなく、視聴者の気分を煽るためにこの手の番組では常套句のようになっているものである。

                      工芸を芸術の域にまで高めた

                      というナレーションがそれである。
                      工芸よりも芸術のほうが上という意識が気になるのである。

                      共通の根を持ちながら、ときに分かれ、ときに絡まる両者は本来上下の関係ではないはずである。
                      乱暴な言い方をするなら、工芸の枠では収まりきれなくなったとき、上か下か横かは知らないが、はみ出したその結果のうちのいくつかが芸術なんだろうと。

                      言えることは、工芸であれ芸術であれ、どちらも技術あってのものであり、ひとつの根から枝分かれしただけのことであり、「高める」という言い方は当て嵌まらないようにおもう。

                      アート(art)は芸術であると同時に技術である。
                      技術なくして芸術は成り立たないとおもう。
                      そう言えば最近、アーティストって多い、とおもう今日この頃である。

                      折り本日の仕事――
                      断裁で意図的に誤差を出してのち、本文を折っています。


                      2006.07.10 Monday

                      背丁や背票

                      0
                        『ジャクリーヌの演奏を聴きながら』の本文の折りが終わり、丁合いをした。このまま一日寝かせる。

                        丁合い丁合い丁合い丁合い

                        上の画像の左下は一冊分である。
                        印刷方法によらず、このように背丁や背票の類は一切入れないようにしている。

                        何を勘違いしたか、背丁や背票をわざと見せる本もたまに出現する。
                        これはたぶんスケルトン発想で、完成すると隠れてしまう部分を露わにしたいというデザイナーの欲求なのだろうが、どう考えても悪いけれど笑ってしまう。
                        昔からちゃんとした本には背丁や背票は入れないものなのであるから。

                        なぜ入れないかというと(僕の考えであるが)、
                        そのひとつの理由は、背丁や背票は乱丁や落丁を見つけやすくする目印であるが、別の方法でもこれはクリアーできる。
                        背丁が覗くもうひとつの理由は、右の画像のように本のノドの部分から背丁や背票が覗くことがあり、見苦しいからである――もっとも無線綴じ製本の場合は折り丁の背を切り取ってペラの状態にしてあるのでまったく別の話になってしまうが。


                        あした一日は『ジャクリーヌ』は空くことになるので、『空白期』(高田昭子 著)の編集作業をする予定。
                        ぼちぼち取り掛からないとまた「カツ。」が入ってしまう(笑)。
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